茶の歴史とは?起源から日本文化への広がりまでを徹底

今では私たちの生活に欠かさないお茶。お茶がこの世に生まれ私たちの日常に溶け込むまでには数百年の歴史と文化が詰まっています。発祥の地と言われる中国からやがて日本に伝わり、僧や貴族の間から武士や庶民へと広がっていきました。この記事では、お茶の起源から日本への伝来、茶道の成立、そして庶民に定着するまでの歴史をわかりやすく解説します。お茶をより深く楽しむために、その背景を一緒にたどってみましょう。

茶の起源と世界への広がり

中国山岳地帯の茶畑

お茶の起源は?

お茶の原産地については諸説ありますが、最も有力とされるのは中国の雲南省・貴州省・四川省の三省にまたがる山岳地帯です。

茶はツバキ科の仲間であるチャの樹「カメリア・シネンシス(Camellia sinensis)」の芽や葉から作られる嗜好飲料で、緑茶や烏龍茶、紅茶といった種類の違いは、茶葉そのものではなく製法の違いによって生まれます。

「Cha」と「Tea」の違い

お茶は古代中国で薬用として用いられ、その後、嗜好飲料として人々に親しまれるようになりました。世界的に見ると、お茶の呼び名は大きく「Cha(チャ)」系と「Te(テ)」系に分かれます。

中国大陸から陸路で広がったものは「Cha」と呼ばれ、広東語の系統を引き継いでいます。日本の「茶」やロシアの「チャイ」などがその例です。

一方、福建省アモイから海路で伝わったものは「Te」となり、英語の「Tea」やフランス語の「Thé」に繋がりました。呼び名一つをとっても、茶がいかに広い地域で文化に根付いたかがわかります。

日本への伝来と初期のお茶文化

嵯峨天皇と団茶(だんちゃ)

嵯峨天皇と団茶

日本における茶の記録として最も古いのは『日本後紀』(840年)です。弘仁6年(815年)、大僧都永忠が近江の梵釈寺で嵯峨天皇に茶を煎じて献じたと記されています。

当時のお茶は「団茶(だんちゃ)」と呼ばれる固形の茶で(陸羽(733~804年)の『茶経』にも記載のある)火であぶって粉にし、湯に溶かして飲むスタイルでした。当時のお茶はこれは中国・唐の茶文化を模したものであり、庶民ではなく僧侶や貴族といった上流階級だけが口にできる大変貴重なものでした。

薬としてのお茶

この時代、日本でお茶は薬や儀礼の際の飲み物としての意味合いが強く、まだ日常的に飲まれるものではありませんでした。

日本の茶祖・栄西と『喫茶養生記』の功績

『喫茶養生記』(京都大学附属図書館所蔵)
『喫茶養生記』(京都大学附属図書館所蔵)

「茶は寿命を延ばす妙術である」

日本の「茶祖」と呼ばれるのが、臨済宗の開祖・栄西(1141~1215)です。栄西は宋に渡って修行した際、茶の効能に注目し、帰国後に『喫茶養生記』(1212年)を著しました。

この書物には**「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」(**「茶は養生の仙薬であり、寿命を延ばす妙術である」)と記され、茶の薬効と飲み方が詳細に紹介されています。

宝和園の宇治抹茶

抹茶文化の始まり

特に注目されるのは、同書の中に「蒸して乾燥させた茶の芽を粉末にし、茶碗に熱湯を注いで泡たてて飲む」という記述です。これは今日の薄茶(抹茶)の飲み方に近いもので、禅僧たちの修行や貴族の嗜みに広がっていきました。

さらに栄西は中国から茶の種を持ち帰り、九州・脊振山に植えたと伝えられています。その種が栂尾や宇治へと広がり、日本茶の基盤が築かれました。

茶道の成立と戦国時代の茶文

千利休肖像画(堺市博物館)
千利休肖像画(堺市博物館所蔵)

千利休の茶の湯「わび・さび」

室町時代から安土桃山時代にかけて、お茶は単なる飲み物ではなく精神文化として発展していきます。

村田珠光にはじまり武野紹鴎を経た「茶の湯(茶道)」が、千利休によって大成されました。利休の茶の湯は、豪華さではなく「わび・さび」を重視し、簡素で精神性の高いスタイルを特徴としています。

戦国大名とお茶の広がり

一方で、豊臣秀吉の「黄金の茶室」のように権力や富を象徴する茶文化もあり、戦国大名にとって茶は政治的な道具でもありました。

この時代になると茶道のみならず、僧や武士、商人(紹鴎・利休も共に堺の商人)の間にもお茶は広まって、文化の中心的存在となっていきました。なおこの頃は抹茶が最もよく飲まれていたと考えられます。

江戸時代と煎茶の誕生

永谷宗円による「蒸し製煎茶製法」の開発

江戸時代に入ると、お茶は徐々に庶民の生活に浸透していきます。大きな転換点となったのは、宇治田原の永谷宗円が**中国式の釜炒り茶に替わる「蒸し製煎茶製法」を開発したことです。

従来の抹茶に比べ、煎茶はより自由で手軽に楽しめることから広まり、やがて日本人の生活に欠かせない飲み物となりました。

宮崎安貞『農業全書』(国立公文館所蔵)
宮崎安貞『農業全書』(国立公文館所蔵)

宮崎安貞『農業全書』がもたらした茶栽培の全国普及

また、宮崎安貞の『農業全書』(1697年)には、茶の栽培方法や製造法が詳しく記されており、茶の生産が全国に広がる契機となりました。この頃には、茶屋が町に並び、庶民も気軽にお茶を楽しむ時代が訪れたのです。

宝和園8代目茶師岡本義明

現代に受け継がれる茶文化と宝和園

現在、日本茶は抹茶・煎茶・玉露・ほうじ茶など多様なスタイルで親しまれています。お茶文化が成長を遂げる中で、掛川も国内有数の茶産地となり、茶の栽培技術・製茶技術の革新も飛躍的に進みました。

宝和園でも、今でこそ全国に知られている掛川発祥「深蒸し製法」を昭和40年(1965年)頃から広めていきました。

茶の歴史は単なる飲料の歴史ではなく、人と人をつなぎ、文化を育み、生活を豊かにしてきた歩みそのものです。宝和園ではこれからもお茶が紡ぐ歴史を皆様と共に築いていきます。

目次