茶の歴史とは?起源から日本文化への広がりまでを徹底解説
今では私共の暮らしに、ごく自然に寄り添う一杯のお茶。
ですが、その何気ない日常が形づくられるまでには、数百年にわたる歴史と文化の積み重ねがございます。
発祥の地とされる中国で生まれた茶は、やがて海を越えて日本へと伝わり、僧や貴族の手から武士・商人、そして庶民へと、長い時をかけてゆっくりと広がってまいりました。
本稿では、お茶の起源から日本への伝来、茶道の成立、煎茶の誕生、そして庶民の暮らしに根づくまでの歩みを、宝暦年間(1750年代)より掛川の地で茶業に携わってまいりました茶問屋・宝和園が、わかりやすくひも解いてまいります。
お茶とは?
お茶とは、ツバキ科の常緑樹「チャ(学名カメリア・シネンシス)」の芽や葉を加工してつくる飲み物の総称でございます。
緑茶・烏龍茶(ウーロンちゃ)・紅茶などの違いは、実は茶葉の種類によるものではなく、摘んだ葉をどのように加工するか――発酵させるかどうか――という製法の違いから生まれます。
お茶は古くは“薬”として用いられ、やがて毎日の愉しみとして、世界中の人々に愛されるようになりました。
茶の起源と世界への広がり

お茶の起源は?
お茶の起源は、はるか古代の中国にさかのぼります。茶はツバキ科の常緑樹「チャ(カメリア・シネンシス/Camellia sinensis)」の芽や葉から作られる嗜好飲料であり、緑茶・烏龍茶・紅茶といった種類の違いは、茶葉そのものではなく、摘んだ葉をどう加工するかという製法の違いによって生まれるものでございます。
茶の原産地はどこ?
茶の原産地には諸説ございますが、最も有力とされるのは中国西南部、雲南省・貴州省・四川省の三省にまたがる山岳地帯です。
今もこの一帯には、長い樹齢を重ねた野生に近いチャの大木が点在しており、ここから各地へと栽培が広がっていったと考えられています。
日本の在来種をはじめ、世界中のチャも、もとをたどればこの地のチャに行き着くとされております。

「Cha」と「Tea」の違い
お茶は古代中国において薬用として用いられ、その後、嗜好飲料として広く人々に親しまれるようになりました。
世界に目を向けますと、お茶の呼び名は大きく「Cha(チャ)」系と「Te(テ)」系の二つに分かれます。
中国大陸から陸路を通じて広がったものは「Cha」と呼ばれ、これは広東語の系統を受け継いでおります。
日本の「茶」やロシアの「チャイ」などがその一例です。
一方、福建省・厦門(アモイ)から海路で伝わったものは「Te」となり、英語の「Tea」やフランス語の「Thé」へと繋がってまいりました。
日本への伝来と初期のお茶文化
嵯峨天皇と団茶(だんちゃ)

日本における茶の記録として最も古いものは、正史『日本後紀』(840年成立)に見られます。
弘仁6年(815年)、大僧都・永忠(えいちゅう)が近江(おうみ)の梵釈寺(ぼんしゃくじ)にて、嵯峨天皇に茶を煎じて献じたと記されております。
当時のお茶は「団茶(だんちゃ)」と呼ばれる固形のもので、火であぶって粉にし、湯に溶かしていただくものでした。
これは中国・唐の茶文化を模したものであり、庶民の口に入るものではなく、僧侶や貴族といった上流階級だけが味わえる、大変貴重な品でございました。
薬としてのお茶
この時代のお茶は、薬として、あるいは儀礼の際の飲み物としての意味合いが強く、まだ日常的に親しまれるものではございませんでした。
日本の茶祖・栄西と『喫茶養生記』の功績

「茶は寿命を延ばす妙術である」
日本の「茶祖」と仰がれるのが、臨済宗の開祖・栄西(えいさい(ようさい)/1141〜1215)です。
栄西は宋(そう)に渡って修行を重ねた折、茶の効能に深く注目し、帰国後に『喫茶養生記』(1212年)を著しました。
この書には「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」と記され、茶の効能と飲み方が詳しく紹介されております。

抹茶文化の始まり
とりわけ注目すべきは、同書に記された「蒸して乾燥させた茶の芽を粉末にし、茶碗に熱湯を注いで泡立てて飲む」という一節です。
これは今日の薄茶(抹茶)の飲み方に近いもので、禅僧たちの修行や貴族の嗜みとして広がってまいりました。
さらに栄西は、中国から持ち帰った茶の種を九州・脊振山(せふりさん)に植えたと伝えられております。
その種はやがて栂尾(とがのお)や宇治へと広がり、日本茶の確かな基盤が築かれていきました。
茶道の成立と戦国時代の茶文

千利休の茶の湯「わび・さび」
室町時代から安土桃山時代にかけて、お茶は単なる飲み物の域を超え、ひとつの精神文化として深まってまいります。
村田珠光(むらたじゅこう)に始まり、武野紹鴎(たけのじょうおう)を経た「茶の湯(茶道)」は、千利休によって大成されました。
利休の茶の湯は、豪華絢爛をよしとせず「わび・さび」を重んじる、簡素にして精神性の高いものでございました。
戦国大名とお茶の広がり
その一方で、豊臣秀吉の“黄金の茶室”に象徴されるように、権力や富を誇示する茶の文化も生まれ、戦国大名にとって茶は政治の道具でもありました。
この時代になりますと、茶は茶道の場のみならず、僧・武士・商人(紹鴎も利休も、ともに堺の商人でした)の間へと広く浸透し、文化の中心的な存在となってまいります。
なお、この頃に最もよく飲まれていたのは抹茶であったと考えられております。
江戸時代と煎茶の誕生
永谷宗円による「蒸し製煎茶製法」の開発
江戸時代に入りますと、お茶はいよいよ庶民の暮らしへと浸透してまいります。
煎茶の歴史をたどるうえで大きな転換点となったのが、山城国・宇治田原(うじたわら)の永谷宗円(ながたにそうえん)が、それまでの中国式の釜炒り茶に替わる「蒸し製煎茶製法」を生み出したことです。
摘んだ葉を蒸してから揉み、丁寧に乾かすこの製法によって、緑あざやかで香り高いお茶が、ご家庭でも手軽に愉しめるようになりました。
抹茶が中心であった時代から、煎茶が日本人の毎日の飲み物として広がっていく、まさにその出発点でございます。

宮崎安貞『農業全書』がもたらした茶栽培の全国普及
また、宮崎安貞(みやざきやすさだ)の『農業全書』(1697年)には、茶の栽培方法や製造法が詳しく記されており、茶の生産が全国へ広がる大きな契機となりました。
やがて町には茶屋が並び、庶民もまた気軽にお茶を愉しむ時代が訪れたのでございます。
日本茶の歴史 年表
ここまでの歩みを、ひと目でたどれるよう年表にまとめました。
| 時代・年 | できごと |
| 平安初期・815年 | 僧・永忠が嵯峨天皇にお茶を煎じて献上(『日本後紀』に記録)。当時は団茶で、僧侶や貴族のものでした |
| 鎌倉初期・1212年 | 臨済宗の栄西(えいさい)が宋より茶種を持ち帰り、『喫茶養生記』を著す。抹茶の飲み方が禅僧や貴族に広がる |
| 室町〜安土桃山 | 村田珠光・武野紹鴎を経て、千利休が茶の湯(茶道)を大成。「わび・さび」の精神文化へ |
| 江戸・1697年 | 宮崎安貞『農業全書』に茶の栽培・製造法が記され、茶づくりが全国へ広がる |
| 江戸中期・1738年頃 | 宇治田原の永谷宗円が「蒸し製煎茶製法」を開発。煎茶が庶民へ広まる |
| 江戸・1750年代(宝暦年間) | 掛川の地で岡本忠助が宝和園の前身となる「マルヲ岡本商店」を創業 |
| 昭和40年(1965年)頃 | 掛川発祥とされる「深蒸し製法」が広まり、掛川が国内有数の茶産地に |
現代に受け継がれる茶文化と宝和園

現在、日本茶は抹茶・煎茶・玉露・ほうじ茶など多様なスタイルで親しまれています。お茶文化が成長を遂げる中で、掛川も国内有数の茶産地となり、茶の栽培技術・製茶技術の革新も飛躍的に進みました。
宝和園でも、今でこそ全国に知られている掛川発祥「深蒸し製法」を昭和40年(1965年)頃から広めていきました。
茶の歴史は単なる飲料の歴史ではなく、人と人をつなぎ、文化を育み、生活を豊かにしてきた歩みそのものです。宝和園ではこれからもお茶が紡ぐ歴史を皆様と共に築いていきます。

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Q1. お茶の発祥(原産地)はどこですか?
A. 最も有力とされるのは、中国西南部・雲南省などの山岳地帯です。この一帯から各地へ栽培が広がったと考えられています。
Q2. お茶はいつ日本に伝わりましたか?
A. 記録の上では平安時代初期、815年に僧・永忠が嵯峨天皇へお茶を献じたのが最古とされます。日常的に広まるのは、鎌倉時代の栄西以降です。
Q3. 日本の「茶祖」と呼ばれるのは誰ですか?
A. 臨済宗の開祖・栄西です。『喫茶養生記』を著し、茶の効能と飲み方を日本に伝えました。
Q4. 煎茶はいつ生まれたのですか?
A. 江戸時代中期、宇治田原の永谷宗円が「蒸し製煎茶製法」を確立したことから広まりました。それ以前は抹茶が主流でした。
